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苦しみと病について

受講コースの中で【苦しみと病について】を発表する機会がありました。その時に書いたです。


苦しみと病について

20代のころ、体調を崩してしまい、都内のアパートを引き払って自宅で療養することになりました。化学物質過敏症という診断名もまだないころで、 身体が反応する化学物質を避けて、自己治癒力が回復するのを待つ。というのんびりした療養生活でした。

そんな時あるアスリートの方の書いた本の一節に心惹かれました。癌から生還したかただったのですが、病気が一番重かった時よりも、回復期のほうが ずっとつらかったというのです。

回復期

その時回復期にあった私にとって、とても心の支えになりました。回復ってゆるやかなようで、決して一本道ではありません。春の訪れを三寒四温といい ますが、調子の良い日が数日続いて、ふとしたことで、さっとひと月前、半年前くらいの状況に逆戻りする。もう大丈夫かな?と思いたい自分もいるのに、 ふとしたことで、数日寝込んでしまう。暖かい日の後の冷え込みが身体に堪えるように、いったんよくなりかけた後の揺り戻しは体にも心にも堪えました。 普通の人には何でもないものでこんなに反応してしまう。悪いのは私。こんな思いはこのころの小さなトラウマの積み重ねでより増幅されていったように 思います。

繊細さと共に

スピリチュアルティチャーの課題に取り組む中で、私が自分の中で一番受け入れがたかった『繊細さ』という資質を少しずつ受け入れていっています。 こうして発表の機会を頂くことで、少しずつ日本語を綴れるようになってきました。先日ホームページのプロフィール欄を半年ぶりに書きなおしました。 半日かかってようやく書き上げて、一息つこうと近くのコンビニに向かいました。 その道すがら、ふと思ったんです。私は今ここにいるんだ。私はこのままなんだって。

繊細さと苦しみと

自分を受け入れて癒していったら、どこか違う世界が見えてくる、そう願い信じていた私がいたことにその時ようやく気が付きました。なみさんの繊細さは 魂の性質だから。そう何度もいろいろな方から聞かされていました。それでも私は自分の繊細さを厭うべき病だと思っていました。今は繊細な自分もいる けれど、受け入れて癒して統合されていったら、きっといなくなる。無意識のうちに自分の繊細さを消してしまいたいと願い続けていた私。繊細さによって、 とても大きな苦しみを体験していたことを今あらためて実感しています。

永遠の回復期

受け入れて愛されて消えてゆくような繊細さではなく、受け入れられてなお一層花開いてゆく、今のバランスの私のままありのままの私が自分自身の未知なる 部分に向かって、毎瞬新しい私を創造し続けるんだ。永遠の回復期を三寒四温のまま生きてゆくんだなあと思ったのでした。

傷だらけの私をご覧になってくださった方が『傷も愛されることで、その役割を果たすことが出来る』と教えてくれました。私自身は自分の傷をあまり 自覚できていません。自らに愛を届けてゆくとシュワシュワする部分がたくさんあるので、もしかしたらそれら全てが傷なのかもしれません。 何時かなりたいと思っていた理想の自分に既になっている自分がいました。私が今ここにいること、今の自分が今していることこそが創造であることを、 毎瞬見つめて行けたらいいなあと思います。

ご案内更新:2013年5月9日