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創造すること、ただあることについて

私が混沌から抜け出して、創造へ、顕現へと意識が向いていった道筋を綴ってみます。

初めは混沌から

人によってたどる道筋は人それぞれかと思います。私がたどった道筋を記すことで、もう一度自分を見つめてみたいと思います。

いわゆるスピリチュアルエマージェンシーという霊的顕現、とてもドラマチックなプロセスをたどる方もあるようですが、私はあまり 身体に堪えないほうなので、とても緩やかな変化でした。 緩やかな混沌、そのほとんどは内的葛藤として現れていたのですが、その混沌にターボがかかっていったのが、2012年年末からの数か月でした。

内的葛藤を通して自分自身と出会ってゆく

内的葛藤はいろいろな方から私を形容する言葉として告げられていて、自分にとっては日常過ぎてよくわからずにいました。生きてゆくんだから葛藤だって あるよね、と当然のように受け入れていたのです。でも私の魂的な部分が、葛藤以外の表現をしたい!と望んで新たな現実を引き寄せて行ったようで、 それを解き明かしてくれる言葉に出会うことが出来ました。

ありのままの世界も、ありのままの自分も、どちらも受けいれられない、そんな思いをずっと抱えていた私。そんな生きづらさを抱えた私が地球で人間として 生きてゆくためにはこうあるべき、という想いとの相互作用で、私の中に様々な固定観念やある種の偏見を作り出していってしまったようです。それらを少しずつ 手放してゆき、その都度見えてくる自分の姿、世界の姿と向き合うことを続けてゆきました。

私にとっての使命

自分を見つめて行く間の表現への葛藤は詩についての項目で書かせていただきました。表現することへの恐れを抱えた私が自分を 見つめてゆく過程で一番助けになったのは使命という考え方でした。使命と責任についての中でもかかせていただいたように、 使命をどちらかというと毛嫌いしていた私。でも使命を自分なりのやり方でとらえなおして私らしく『使命的な何か』を感じてみることで、3次元の地球に肉体を持って 生きてゆくことへ、とても大きな心の支えとなりました。

今の私にとっての使命は、私が私らしくあることを助けてくれるツールであり、私がとるべき責任が有限であることを気づかせてくれたものです。 使命という言葉を新しくとらえなおしたのと同じように、今のありのままの私が日々行っていることこそが創造活動なんだと気が付きました。 与えることについてや、選択する勇気と意志についての中でそれらについて語っています。

新たな創造

使命という概念と出会って、ちっぽけな今の自分が毎瞬創造と出会って行ける、そのことに魅せられて、創造してゆきたいという想いが私の中で ふつふつとわき起こっていました。 創造する自分としての自分自身の存在に、ようやく価値を見出し始めた。そんな時期だったのかもしれません。

使命も創造も手放して

創造という世界にあまりに魅せられてしまって、自分にとってプレッシャーとなってきたころ、ただある、そのことの意味をあらためて 見つめなおしてゆくことが出来ました。リーブスさんで学んだマニフェステイションという単語。何度も耳にしていてその言葉が存在することに 無感覚になってしまっている自分に気が付きました。やり取りの中でmanifestationという単語を目にして、その意味を改めて感じることが出来ました。 意図することすら手放してただある。

ただある

創造したいという願いが自分の内から湧いてくることを待つのではなく。創造することも創造しないことも越えて、使命を受け入れることも、使命を 拒否することも越えて。

時に傲慢になったり、尊大になったり、自分を卑下したり、否定したくなったり。創造や使命に対して、気負ってしまったり。

それらを受け止める、見つめることがつらくなってしまったときに、そこからいったん離れてただあるだけの自分に戻ってみる。 ただある、そんなひと時を時折でも持てたらなあと思います。

ご案内更新:2013年5月13日