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家族について

受講コースの中で【家族について】を発表する機会がありました。その時に書いた文章をご紹介します。


家族について

小さいころ炎に魅せられていました。マッチを自分ですることが出来るようになって、一人炎を眺めていました。

小学生のころ、火を消したつもりでマッチをゴミ箱に入れてしまって、ボヤを出したことがあります。幸い初期の内に父が消火器で消してくれたのですが、 床には黒い焦げ跡が残ってしまいました。父に怒られて、床に正座させられて、頭をゴツンとされました。一番最初に父に怒られた記憶はその時だったかと思います。 悪いことをしたら罰を受けるという概念が私の中になかったのだと思います。自分の不注意で火が大きく広がってしまって怖くて悲しくてごめんなさいと思っている のに、慰めてもらえなかった。自分が悪いことをしたから怒られたということが結びつかず、ただただ、存在を否定されたように感じてしまったようでした。

その後も私の火への不注意が繰り返し起きて、トラウマは上書きされてゆきました。


そのことを再度自覚したのは学校での体罰の話題のなかで、愛情と信頼があれば体罰は容認する、という議論を目にしたときです。両親は私が両親の愛情と信頼 を十分自覚していると思って愛あるしつけをしてくれたのに、私は否定されたと思って学ぶどころかトラウマにしてしまった。愛情も信頼もしつけも何一つ受け取れて いなかったんだ。そう思った時には愕然としてしまいました。私自身は体罰には違う見方をしていますが、私が思ってもみなかった視点を感じることで、貴重な学びを 身を以て体感することが出来ました。今ではこの考え方との出会いに感謝しています。


両親も私も不器用で、愛情をどう表現していいかわからないところがとてもよく似ています。彼らの魂からの愛情を受け取ろう、トラウマとちゃんと向き合って、 そこから解放されてゆきたい。自分の不幸を誰かのせいにせず、自分の幸せにちゃんと責任を持てるように、そう願って、自分に愛を届けて行ったところ、2つの気付き が順番にやってきました。


一つ目は、両親が私の肉体の生成を手伝ってくれて、彼らにとっての最善の愛を注いでくれているのに、私は彼らが三次元的に求めている家業を継ぐという形で愛情 を返せない。そんな私は存在する価値がない、そう思い込んでいる自分がいることが、自分自身の肉体へ愛情を注げない大きな理由の一つになっていたことでした。


このことに思い当たらなかった、こんなシンプルな関係性に今まで気が付けなかった自分がいたことにビックリすると同時に、癒さないこと、傷やトラウマを抱えて いることも私にとっての絆になっていたこと。それほどまでに、両親に認められたいと願っていた幼い自分がいたことに気が付くことが出来ました。


その日の夜、少し違和感を感じて、内観してみると、自分の中に大きな裂け目ができたように、ぽっかりうつろな口が開いていました。そんな自分に愛を届けて いたら、ふと、自分が両親をいかに傷つけてきたのか、何度も繰り返し絶望させてしまったのかを思い出しました。そのことを見ないふりをしたくて、忘れたくて、 傷ついたのは私、と思って、被害者を装ってきた。被害者の振りをすることもつらくなって、どちらも忘却したい、そう願って暮らしてきた数年があったこと。夜寝る 前に一度に思い返されて、布団の中で泣いていました。


これから自分がどんな選択をしてゆくのか今は分かりませんが、自分の不幸を誰かのせいにしないこと、そして、自分の幸せに責任をきちんともてることを 大切に考えて、自分自身の人生を生きて行けたらいいなあと思います。癒すべき課題を教えてくれたこの宿題に出会えたことに感謝の想いでいっぱいです。

ご案内更新:2013年5月8日