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友情について

以下の文章は2013年5月にスピリチュアルティチャー養成コースの課題として書いた物ですが、更新が遅れておりました。

友情について自分の中で見つめてみた時に、浮かんできたのが『さみしい』という単語でした。友情に対してとても不器用で、寂しい人生を送ってきた私。 でも、その寂しさを十分堪能できていない気がしたのです。おざなりに味わってお茶を濁している感じ。寂しさ以外の人生も味わいたい私は一度寂しさを存分に味わい尽くして、そこから見えてくるものを見つめてみたいと思いました。

まずは準備から。必要な振込を済ませて、HPも手直しして、一言ご挨拶と思ってブログを更新しました。その時寂しさを堪能するための準備にワクワクしている自分がいることに気が付いたのです。自己探求が好きな私、そして味わい尽くした後の達成感を既に先取りしてしまっている私。気の早い自分に少しあきれながらも、平日の午後、寂しさにどっぷりつかってみました。

本当は『トランス』という技法があって、自分以外の人の人生を味わってみる安全なやり方があるそうです。寂しさに浸ってしまうことに、少しだけ不安があったのですが、自分自身の過去の感情なので、何とかなるだろう?と味わい尽くしてみることにしました。

まずまっさらな自分に戻って、詩人モードになったのかな?まるで目の前にいる人のお話を聞くように、自分の友情関係を再度味わってみることにしました。客観的に見たら、とてもさみしい状況にあるのに、寂しさに無感覚になっている自分がいます。寂しさ感度を押し殺してしまっている感じ。自分をただ見つめてゆく中で、今この状況なら寂しさに心を開いても大丈夫だ、と思える自分がいたようで、寂しさがどど〜っとやってきました。

孤独感と自己否定感が全身を覆って、昨年もこんな感じの時があったことを思い出しました。ワークを施術してくださる方に『身体が鬱っぽくなってるよ』と教えていただいたのはこのころです。その頃は割と普通に生活できていたのに、今その状態を味わってみると、身体にすごく堪えています。力が入らないし無力感がおしよせてくるし、起き上がるのもいやという感じ。普段よほどのことがないと昼寝はしないのですが、何もできなくなって一眠りしました。

起き上がって何とか夕食は作れたのですが、洗い物を終えて再び脱力すると、再び無力感が襲ってきます。身体の力が分散されていて、お互いがお互いを否定し合っている感じ。意志の力がうまく働かなくって、もどかしいままどうしたらいいかわからずそこにある私。

そんな中先日Facebookのウォールで見かけたやり取りが頭をよぎりました。英文で書かれたものだったのですが、*『混沌の状態にある人を、その人本来の姿、本来在り得るべき姿へreconnectingしてゆく。』というような内容でした。 その時の私はまさに混沌を味わっていて、本来の私ではない姿を表現していたのでした。この文章の伝えるイメージをきっかけに今の自分に戻ってくることが出来たように思います。

少し前の状態の私自身を、かりそめに味わっただけなのに、こんなに身体に堪えてしまいます。いかに今の私が幸せなのかを改めて感じるとともに、なぜこれほどの混沌を常に抱えながら、私が日常を過ごせていたのか、そのことをもう一度見つめてみました。

思い返して気が付いたのは、孤独と混とんはず〜っと私のそばにあったということです。幼いころから世界の不条理が目について、人と人が平等でないことが悲しくて。でも傲慢で尊大な言動をする自分自身もいて。自分自身の価値をずっと受け入れられなかった私は、友情として差し伸べられる手にも私の本当の姿を知ったら、きっとこの人は去って行ってしまうと無意識下で思い込んでいたようです。

今回このスピリチュアルティチャーの課題を通して、自分の繊細さを受け入れてゆくことが出来ました。今回寂しさを味わって改めて感じたのは、私の繊細さは、その繊細さで私が狂気の世界に行くことからずっと私を救いとめていてくれたのかもという想いです。世界の混沌を感じて歩く過程は灯りのないトンネルを歩いているような薄暗がりでしたが、ずっとその中にいると目も身体も慣れてきます。40年近くの間、自己否定と混とんを抱え続けてきた私。無事ここまで歩んでこれた、そのことを支えてくれたすべての存在に改めて感謝しています。

スピリチュアルティチャーの課題をとおして、受け入れられずにいた過程を振りかえって見つめてゆくことが出来ました。毎回とても苦しくって、もうこれ以上は見つめられない、そう思ったこともたびたびありました。もうどうしていいのかわからない、その混沌から見出す希望。**混沌とクリア、と表現していた方がありましたが、まさにクリア、まっさらに帰るという感じです。

私は勇気がなくて、大病も大けがもない平穏な人生を歩んできました。病も含め、私が選択してこなかった人生をこの三次元で体現してくださっている勇気のある魂の皆さんに、心からの敬意を抱いています。誤解や擦れ違いを笑い飛ばせる強さ、混沌さんいらっしゃいとウェルカムできる心のゆとり。そんなツールに磨きをかけながら、孤独以外の人生も生きて行けたらいいなあと思います。

*" For me being a shaman, I tend to help people with spiritual disturbance or unbalance. So I tend to discuss about how to help those who needs help. It is basically reconnecting the person or any other spiritual beings to who they truly are or can be. It is the healing towards the manifestation of the spiritual potential and divine. So all that help this process can be seen as part of shamanism. "2013.05.05(@Leaves Institute Yumiko Naka )

**2013.05.11(@Leaves Institute Yumiko Naka )

ご案内更新:2013年12月10日