豊かさについて
受講コースシリーズ第二弾【豊かさ】です。豊かさについて書いた詩とそれに対する思いを書いてみます。
豊かさについて
欠乏はどこにあるの?
欠乏があるかのように目に映るものは何?
欠乏があるかのように感じてしまうものは何?
欠乏によく似たものがあるとすれば、豊かさに恋焦がれる気持ち
手に入れたいけれど、手に入らない
ようやく手に入れたかと思ったら、するりと手から零れ落ちる
名前を呼んでも、声をかけても、好きだと伝えても。振り向いてもくれない
ただ冷たい美しい横顔が映るだけ。時折誰かに愛おしそうに微笑みかける
でもその誰かは 私ではない
どうして豊かさに恋するのか
どうして豊かさを追い求めるのか
どうして豊かさに恋することが出来るのか
どうやったら豊かさを追い求めることが出来るのか
それは忘却。と風が教えてくれた
こんなにも美しい世界に
こんなにも豊かな世界に
こんなにもたくさんの奇跡が
こんなにもたくさんの祝福が
これらのすべてが
目に入らないとは
こんなにも見事な忘却
自分が何者かも忘れて
自分が内包する美しい宇宙も忘れて
豊かさに恋焦がれて、手にすることはできないものとあきらめて
手に入れたいと願っていたことすら忘れ去りたいと願う
深い絶望の前に立っている私自身を 愛おしく思う
* * *
先日、初めて詩人の自分をペルソナとして受け入れました。豊かさってなんだろう?と思って、再度詩人のペルソナをかぶって諏訪湖のほとりをドライブしていました。豊かさはどこにでもあるよというので、じゃあ豊かでないものを教えて?と尋ねてみました。
でも探しても見つからないのです。目の前だけでなく、世界中のあらゆる状況を尋ねてみても、詩人さんに論破されてしまいます。あれも豊かさ、これも豊かさ。
じゃあ豊かさがないように目に映るのはどうして?と考えていったときに、豊かさと忘却と恋との三角関係が浮かんできました。
内なる豊かさを忘れて、豊かさに恋焦がれている。切なくて恋しくて、もう恋なんてしないって思っている方もたくさんいらっしゃる。両思いだなんて認めたくない、豊かさが自分自身の一部だなんて認めたくない。手に入らないものとして憧れている方がいい。私もその一人です。
片思いになぞらえる自分が少しうそつきに思えてもう一つ詩を書きました。その中の一節だけご紹介します。
切なさが胸までこみあげてくるとき 私は豊か
悲しさに押しつぶされそうになるとき 私は豊か
胸の中が空っぽになって むなしさがこみあげてくるとき 私は豊か
豊かさについて自分が何を考えているのかを見つめてゆく中で、豊かさに恋している私もまた豊かなのかもしれないと思いました。
ご案内更新:2013年5月3日