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光と闇について

受講コースの中で【光と闇について】を発表する機会がありました。その時に書いた詩をご紹介します。


光と闇について

私の中にあるたくさんの闇

私にはそれが恐れとして目に映る

一つ一つを見つめてみて

自分の中の神聖をこれほどまでに畏れている自分に気が付いた


誰にも理解されなくてもいい

誰かの為ではなく

何かの為ではなく

自分だけのために自分の神聖を受け入れ自分の神聖を体現する時間を持とう

そう思って自分の中の神聖さとつながってみた


他を圧倒するような眩さではなく

柔らかな光

そして優しい光

これを傲慢と思っていたなんて

今も躊躇が残る自分自身を含めて 丸ごとのありのままを生きる


日々の私は自分の神聖さを 認めることなく生きている

日々の私は自分の神聖さを 注意深く人目に触れないように覆い隠している

日々の私は自分の神聖さに つながることがないように気を付けている


ずっともどかしさと恐れとを抱えてきた私

それは内なる光を開放することへの恐れ

自分の中にある 神性さを強く肯定する心と見ないふりをする心と

渇望しつつも 求めることさえ許さない

胸は暗闇かと思うほどに空虚

答えはまだ見えない

闇は闇のまま

恐れは恐れのまま

   *

現世で闇を体現している方のことを時折考える

自覚することなく体現している方の魂は いったいどんな心地なのだろう

自覚してなお 体現している方の魂は いったいどんな心地なのだろう

それらの全てが私の心の投影なのかと思うと 自分が抱えている闇の大きさに恐ろしくなる

目に映る闇は 私にとっての闇

自らの愛着の範囲を限定し 自己実現へと突き進む

そんな彼らへの無限かに思えるシンパシー


私が内なる光とつながることを阻んでいるものは 恐れであると思ってきた

でもそれだけではなかった

今私の中の傲慢さも 水を得た魚のように 生き生きと泳ぎ回っている

あれほどまでに自分の中で否定され 押し殺されてきた私の繊細さが

こんなに声をあげられるようになったのかとおもうとその傲慢ぶりも愛おしい

   *   *   *

   

詩を2つ書いてみました。一つ目の詩は自分が自らを受け入れてゆくことへの躊躇をつづったものです。書き上げて読み返して、ここでとどまっている自分がとても傲慢に思えて2つ目の詩を書きました。

2つ目の詩は、世界金融の闇的な部分がとても気にかかっていた時期のことを書きました。 ある国の経済危機のニュースを耳にして、金融の仕組みの一端が見えてきました。彼らが行っているのは愛着の対象の限定、そう思ったら彼らへの執着がすっと消えてゆきました。

そして、その執着は自分の問題の投影でもあり、自らの中の癒されたい部分をクローズアップしたものでした。自らの内にある癒しを必要とするものが外側に現れてくる、そんなプロセスの一部を垣間見た思いでした。

今自分の中の傲慢さが私の興味の対象です。こんなに傲慢な私は光を体現してはいけない。そんな言い訳がしたいのかもしれません。私が今ここで自らの傲慢さに感心があるということはそこに見つめたい対象があるということだなあと思って、自分を見つめてゆこうと思います。

ご案内更新:2013年5月7日